「一刻者」な人
「父母の思い未来につなぐ」
宮崎の「
一刻者
」
伝統工芸の技を守り受け継ぐ
職人の物語
「のぼり猿」製作者 橋倉由美さん(延岡市)
「一刻者(いっこもん)」とは
南九州の話し言葉で頑固者のこと。
それは時に責任感が強く
実直な人柄の「職人気質」という
意味でもあります。
2001年の発売以来、
頑固に芋のうまさにこだわり続けてきた
全量芋焼酎「一刻者」と同様に、
伝統の技を守り受け継ぐ職人
「宮崎の一刻者」たちを紹介します。
南九州の話し言葉で頑固者のこと。
それは時に責任感が強く
実直な人柄の「職人気質」という
意味でもあります。
2001年の発売以来、
頑固に芋のうまさにこだわり続けてきた
全量芋焼酎「一刻者」と同様に、
伝統の技を守り受け継ぐ職人
「宮崎の一刻者」たちを紹介します。
江戸時代から伝わる延岡地方の郷土玩具
「のぼり猿」。
烏帽子(えぼし)をかぶり、
鼓を背負った猿の人形が風を受けて竿を上る姿には、
子どもの立身出世や無病息災を願う親心が込められています。
県内唯一の製作者である橋倉由美さん(69)は
「両親から託された思いを守り続けたい」と話します。
その昔、田畑を荒らす猿を退治したところ子どもの疫病が流行。
人々は「猿のたたり」と考え、
のぼり猿を庭先に飾って猿を供養すると、
疫病がおさまったというのが由来です。
戦後、伝統ある玩具に興味を持ったのが、
橋倉さんの父で美術教員だった松本電蔵さん。
妻節子さんと地元の古老から作り方を学び、
観光土産などとして商品化。
節子さんは1984年に県の伝統工芸士に認定されました。
東京で働いていた橋倉さんは98年に父の看病のため帰郷。
「のぼり猿を残して」との遺言を受け、製作者の道へ進みました。
母も2002年に亡くなり、
今は夫の孝さん(63)と支援者たちの協力を得て
のぼり猿製作所「松本」を営んでいます。
制作は全て手作業。
両親から受け継いだ木型に和紙を何枚も張り合わせて作ります。
猿の表情は1体ずつ微妙に異なり、
橋倉さんは「猿に命を吹き込むこの作業が一番楽しい」と微笑みます。
のぼり猿の作り方教室も開催。
子どもたちには決まった配色ではなく、
自由な発想で色付けするよう促しています。
「伝統を守っていく上で、まずはのぼり猿を身近に感じ、
心の中に残すことがとても大切」と話してくれました。
「のぼり猿」。
烏帽子(えぼし)をかぶり、
鼓を背負った猿の人形が風を受けて竿を上る姿には、
子どもの立身出世や無病息災を願う親心が込められています。
県内唯一の製作者である橋倉由美さん(69)は
「両親から託された思いを守り続けたい」と話します。
その昔、田畑を荒らす猿を退治したところ子どもの疫病が流行。
人々は「猿のたたり」と考え、
のぼり猿を庭先に飾って猿を供養すると、
疫病がおさまったというのが由来です。
戦後、伝統ある玩具に興味を持ったのが、
橋倉さんの父で美術教員だった松本電蔵さん。
妻節子さんと地元の古老から作り方を学び、
観光土産などとして商品化。
節子さんは1984年に県の伝統工芸士に認定されました。
東京で働いていた橋倉さんは98年に父の看病のため帰郷。
「のぼり猿を残して」との遺言を受け、製作者の道へ進みました。
母も2002年に亡くなり、
今は夫の孝さん(63)と支援者たちの協力を得て
のぼり猿製作所「松本」を営んでいます。
制作は全て手作業。
両親から受け継いだ木型に和紙を何枚も張り合わせて作ります。
猿の表情は1体ずつ微妙に異なり、
橋倉さんは「猿に命を吹き込むこの作業が一番楽しい」と微笑みます。
のぼり猿の作り方教室も開催。
子どもたちには決まった配色ではなく、
自由な発想で色付けするよう促しています。
「伝統を守っていく上で、まずはのぼり猿を身近に感じ、
心の中に残すことがとても大切」と話してくれました。
プロフィール
「のぼり猿」製作者
橋倉由美さん
企画・制作=宮崎日日新聞社営業局